History
※メンバー紹介は「Member」に、シングルやアルバムに関するデータは「Discography」に載せてあります。
バンドの母体はロンドンのアートスクールの同級生だったレスターとアダム・ジ・アンツのアダム・アントが76年頃結成したB-SIDES。メロディ・メーカーの広告を見て応募して来たアンディ(当時はドラマー)が参加するも、数回のリハーサルでアダムが脱退。後釜にアンディの同級生だったビドが加入。アダムも77年に復帰するもバンドは解散。
アダム、レスター、アンディはアダム・ジ・アンツを結成。しかしすぐにレスターは脱退、翌78年、ビド、ジョンと共にザ・モノクローム・セットを結成。ジョンはアート・アタックスと言う7インチ2枚で解散したB級パンクバンドの1枚目に参加していた。ちなみに彼の後釜はワイアーのロバート・ゴトヘッド。
バンドのオリジナルメンバーは、ビド、レスター、ジョンに加えて当時はマン・ヴェドと名乗っていたチャーリー・ハーパー(b)だった。その後チャーリーに代わりサイモン・クロフトが加入し4月にデビュー。6月にはサイモンに代わりジェレミーが加入。その後ラフ・トレードのジェフ・トラヴィスの目に止まりデビュー。ディンディスク移籍までに4枚のシングルを残す。
79年4月にトニーが、さらに8月にツアー先のアメリカに残ったジェレミーに代わりアンディが加入。アンディ脱退後アダムはバンドを再編、セックス・ピストルズでお馴染みのマルコム・マクラレンと組む事に。奇抜なジャングル・ファッションに身を包み、ジャングル・ビートで世界的に大ブレイクした。
80年に彼らはヴァージン傘下のディンディスクに移籍し1st「Strange Boutque」、2nd「Love
Zombies」の2枚のアルバムと3枚のシングルを発表。1stはプロデューサーにボブ・サージャント(元カーヴド・エア)を起用。この作品での成功を元に彼はザ・ビート、ヘアカット100、XTC、ウドゥントゥップスなどのバンドや、BBCセッションなどを手掛ける事になる。2ndはアーヴィン・クラークとバンドの共同プロデュース。
蛇足になるがディンディスクの頃の音源は権利関係の問題で再発が難しいらしい。彼らのCDが音楽評論家の小野島大氏の監修する「UK
New Wave Renaissance 2004」で再発されたが、1stと2ndは権利関係の問題をクリア出来ず、再発されなかった。レアトラック集の「volume,contrast,brilliance...」にも、この時期の曲は1曲も収録されていない(※この時期のラジオセッションは収録されている。輸入版では「Chaps」というベストアルバムに、いくつかの曲が収録されている。)2枚のアルバムは2in1CDとして、2度再発された。現在では「Tomorrow
Will Be Too Long-The Best of The Monochrome Set
」というCDが手に入りやすい(※アルバム名は1stの曲から。輸入盤のみ。音質はあまり良くない)。
81年にバンドはディンディスクからカリスマ・レコード傘下のPREへ移籍し、シングル1枚を発表。8月にジョンが脱退、レキシントン・クレイン(dr,vo)が加入。その後レスターが脱退し、ポール・ウェインマン(g)が加入するも、2人は元の鞘に収まるなど不安定な時期が続く。
82年にバンドは英インディー界の名門チェリー・レッドに移籍。このレーベルは現在も存在し、トレイシー・ソーンやベン・ワット(2人は後にエヴリシング・バット・ザ・ガールを結成)、フェルト、アイレス・イン・ギャザなどを輩出した伝説のネオアコ系のレーベルである。彼らはそこでティム・ハート(元スティールアイ・スパン)のプロデュースで3rdアルバム「Eligible
Bachelors」を発表。このアルバムは彼らの最高傑作とも言われている。
このアルバムでは録音がかなりストレートになり、それまでのサイケ感や神秘性、エキゾチックなメロディなどがかなり後退。その代わりにポップな曲調がより鮮明になった。私見だが、これは録音だけではなくドラマーが替わった事も大きい。初代ドラマーのジョンはテンポが早く手数が多いドラマーだったが、レキシントンはジョンに比べるとスローでシンプルなドラムを叩いている。そのため曲は性急な感じの曲が減り勢いは無くなるものの、アンディのベースや、レスターのギターがより際立っているように感じる。
このバンドのファンはディンディスク期以前のファンと、このアルバム以降のファンに大きく二分される。ニュー・ウェイヴのファンには前者が多く、ネオアコやギターポップのファンには後者が多い。
3rdリリース直後、レキシントンが脱退。後任にモーリス・ウィンザー(元ソフト・ボーイズ)を迎える。さらにはバンドの中心人物、レスターが脱退。そんな不安定な状態の中、83年先述の「volume〜」を発表。84年にブランコ・イ・ネグロ(ジーザス&メリー・チェイン、エヴリシング・バット・ザ・ガールで有名。オーナーは元チェリー・レッドのマイク・オールウェイ)に移籍、翌85年6月に4thアルバム「The
Lost Weekend」を発表するも7月に解散。
解散後、チェリー・レッドに復帰したマイク・オールウェイが設立したレーベル、エル(el。キング・オブ・ルクセンブルグやモーマス、フェルトのラストアルバムなど)から未発表ライブアルバム「Fin」(86年)と、コンピレーションアルバム「Westminister
Affar bande originale du film」(88年)が発表される。これが再評価に繋がり、89年に再結成した。ちなみにFinはCD化に際して「The
Good Life」と改題。関係ありませんが、これは僕が初めて買ったThe Monochrome
Setのアルバムです。
89年に再結成した彼らは90年に「Dante's Casino」で再始動。さらに翌91年発表の「Jack」からは現在のメンバーになった。
メンバーは、
ビド(Lead-vo,g)
アンディ・ウォーレン(b)
オーソン・プレゼンス(key,g,vo)
レスター・スクエア(Lead-g)
トレヴァー・レイディ(dr)
このメンバーで93年に「Charade」、翌94年に「Misere」、翌95年に「Trinity
Road」を発表。
ビド、オーソン、さらにはプロデューサーのトビー・ロビンソン(彼はバンドの曲作りにも参加している)は日本のガールズ・ポップ・バンド、Neloriesのアルバム「DAISY」に参加。ビドはプロデューサー兼ギタリストとして、オーソンはキーボードやピアノなどを担当、トビーはエンジニア兼ミキサー、さらに3人はサウンドプロデュースとアレンジも担当。これはビドとNeloriesに親交があったために実現したものらしい。
また、ビドとレスターは現在Scarlet's Wellとして活躍。4枚のアルバムを発表している。
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